思惑の中に作られる事実

最近、ポータルサイトのニュース一覧の見出しやニュース記事を見ると
見出しの内容が記事の内容(要点)と食い違う記事や、
微々たる情報のみで作り上げられた記事が見受けられる。
ニュースの見出しと内容が一致しない記事、一見同じ文字が入っているので筋が通るものだと
思って読み進めると、実は記者の想像や読み手の判断によっては事実と異なる意図を
与えかねない記事、速報として出しているのに過ぎないのかもしれないが、
「○○が□□に△△された」といったような記事。
そのどれもが、読み手の目を引くために工夫を凝らそうとしているのかもしれないが、
結果的に事実と異なる印象を持たせてしまいかねないものが最近多い。
表現の自由は保障されるべきことではあるが、事実と異なる印象を持たせては、
ニュースという意をなさない記事になってしまう。
それを続けることで、信頼と必読性を失い、ニュースのコンテンツとして成り立たなくなる
行く末を待っているのだろうか?
事実と異なる印象を持つ情報も、それが広まり、周知されることで
「既成事実」を作り上げることができる。
それを望んでいるのか、世論をコントロールしようとしているのか、
それは想像するほかないが・・・
高頻度の媒体であるが故に、目に留まりそうなしかも信憑性のない記事をただ連ねていく
その様に少し、私は落胆気味。
そしてその内容を、友人や知人から聞くとき、
私に伝えてくれている本人はそれを事実として受け止めているのか、
それとも単に、面白い記事があったということを伝えてくれているのか、
真意を確かめたくなるときがある。
記事や情報を集める際には、5W1Hを基準に情報を整理する。
しかし、最近の記事にはその5W1Hを満たしていないものが多い。
そこで心に留めておきたいのは、有名なポータルサイトだからすべて真実の内容として
伝えているわけではなく、空くまで速報性を重視して配信しているのみで、
その情報の真意や配信したことによって生じた、誤認・行動についての
責任の所在に関する所在や証拠の記載は一切ないということだ。
情報を安易に信じてはならない、そして伝えてはならない。
真意を見極め、まず判断することが先決である。