
以前、「セルフプロモーション時代の陥穽 アテンションエコノミーと情報戦」という記事で、個人が「ひとり電通」化し、アテンション(注目)を集めるために最適化した結果、意図せず外国勢力の影響工作の踏み台にされる構造について記事にしました。
しかし、その後の観測と分析を通じて、より深刻な構造的欠陥が浮かび上がってきました。それは、個人ではなく、本来情報の「ゲートキーパー」であるはずのマスメディア自身が、アテンションエコノミーの論理にマーケティング、エコーチェンバーという形で適応し、結果として日本の安全保障を脅かす「認知戦」の増幅装置(アンプ)、その観点においては脆弱な主体として機能してしまっているという事実です。
この記事では、プログラミングやエンジニアリングの視点から、日本の情報空間に開いた「セキュリティホール」と、私たちがどうそのバグに対処すべきか(デバッグすべきか)についてまとめました。
目次
「事実」から「感情」へ:報道のコンパイルエラー
本来マスメディアの「発露(根源的な動機)」は、建前上であれ「真実を伝えること」にありました。しかし、プラットフォームに主導権を奪われ、PV(ページビュー)やエンゲージメントが収益の絶対指標となった現在、その発露は「注目を集めること」、そして「注目を集める頻度を高めること」へと変質しています。
とある出来事を報じる複数のメディアの記事を比較分析すると、明確なパターンが見えてきます。ある種のメディアは、複雑な「文脈(コンテクスト)」を意図的に削除し、読者の感情を即座に発火させる「刺激」のみを抽出して配信しているといった現実があります。
これは、プログラム、生成AIを使ったバイブコーディングで言えば、本来必要なエラー処理や依存関係の記述(文脈)を削除(もしくはスルー)し、実行速度(拡散速度)だけを求めてプロンプトを作り、危険なコードを(あらかじめ抑止・防止するルールなどは設けずに)コンパイル(生成)しているようなものです。彼らは報道機関から、常時ではないものの、アテンションが得られると確信すれば、アテンションエコノミー上の「アクター(演者)」へと変貌を遂げて、活動を行っています。
「熱」と「冷」の分離精製プロセス
アクター(演者)へと変貌したマスメディアが行う、記事などで用いるこの変質を理解するために、記事の構成要素を「熱」と「冷」に分解して考えてみます。
- 「熱(Heat)」:感情を煽る記述、価値判断、強い形容詞、対立構造。「許されない」「暴挙」「危険な兆候」など。
- 「冷(Cold)」:前提条件、背景説明、法的な枠組み、構造的な分析、オフレコの文脈。
アテンションエコノミーにおいて、「冷」の要素はノイズです。複雑な背景説明は、読者の離脱・無関心を招き、拡散の速度を鈍らせます。そのため、一部のメディアは、記事から徹底的に「冷」を排除し、「熱」だけを純粋培養することで、読者の感情の抑揚を煽るようにして配信します。
例えば、安全保障に関わる政府高官の発言があったとします。本来そこには、「抑止力としての発言」「オフレコ前提の思考」「現実的な視座」といった「冷たい文脈」が存在します。しかし、メディアはそれを切り捨て、「好戦的な発言」「戦後80年培ってきたナラティブ」「近隣諸国を刺激する暴言」という「熱い感情」だけを抽出し、必要であれば過去のナラティブを活用します。
これは原油からガソリンを精製するプロセスのように、燃えやすく、爆発しやすい成分だけを取り出すことで、SNSというエンジンの中で効率よく燃焼(炎上)させることができるからです。
文脈の余白にインストールされる「敵対的ナラティブ」
問題はここからです。メディアがアテンションエコノミーにおいて、経済合理性(PV稼ぎ)のために「冷たい文脈」を捨て去った後、その記事には「余白」が生まれます。「なぜその発言がなされたのか?」という論理的な説明が欠落しているためです。
システム思考で見れば、この「余白」こそが、外部からのコードインジェクション(悪意ある命令の挿入)を許すセキュリティホールとなります。
驚くべきことに、メディアがアテンションを稼ぐために作り出した「日本政府は無能で好戦的である」「社会は危険な方向に向かっている」という単純化されたストーリーは、今の日本に対して情報戦・認知戦を仕掛けている近隣諸国(特定のアクター)が流布したいナラティブと、偶然とは思えないほどに、奇妙なほどに一致(共振)します。
- メディアの動機: PVを稼ぎたい(経済的合理性)
- 外部勢力の動機: 日本国内の分断を煽り、政府への不信感を高めたい(地政学的意図)
この二つの異なる動機は結果として、本来あるべき「なぜその発言がなされたのか?」という論理的な説明を消し去って生まれた「余白」に綺麗に収まってしまいます。メディアが意図的にスパイ活動をしているわけではなく、彼らが生成した「文脈のない熱い記事」は、認知戦を仕掛ける側にとって、最も低コストで即効性があり、そして利用できる「燃料」となります。
結果として、日本のマスメディアというシステムは、外部勢力のプロパガンダを増幅して出力する「アンプ(増幅装置)」として存在してしまっているのです。
情報のサプライチェーン汚染とB2Bリスク
この構造的脆弱性は、情報の「卸売り(Wire Services)」を行う大手通信社やキー局において特に顕著です。
彼らが「熱」を優先して精製した汚染された情報パッケージは、配信契約を結んでいる地方紙やネットニュース、プラットフォーム企業へとB2Bのサプライチェーンを通じて拡散されます。地方紙や再配信業者は、配信元の権威を信頼(トラスト)しているため、その情報に「認知戦の毒」が含まれているかを検証することなく、自社の読者に届けます。
これは、ITの世界で例えれば、既存のアプリケーションで使うアップデートパッケージにマルウェアが仕込まれ、それに依存するすべてのアプリケーションが感染する「ソフトウェアサプライチェーン攻撃」と全く同じ構造です。
私たちは、「大手メディアだから」「通信社だから」という理由で情報の真偽性などを確認せずに結果として信頼した状態になっていますが、その上流工程ですでに「文脈の漂白」と「外部ナラティブの混入」が起きているとすれば、その信頼してしまうこと自体がリスクになります。
情報空間における「ゼロトラスト」の実装
では、私たちはこの状況にどうアプローチするべきでしょうか。
メディアに対して「偏向をやめろ」とデモをしても意味はありません。なぜなら、彼らにとってそれは「偏向」ではなく「最適化されたビジネスモデル」だからです。彼らはアテンションエコノミーの内側で生業を行っているのであり、システムの一部に過ぎません。
必要なのは、エンジニアリング的なアプローチで例えるならば、「情報空間におけるゼロトラスト」の実装です。
この、情報空間におけるゼロトラストとは、アテンションエコノミーと認知戦の介入により、その 「内側(マスメディア)」がすでに汚染されている(サプライチェーン攻撃を受けている) ため、境界型防御はもはや機能せず、「テレビで、ニュース記事で言っていたから(境界内部)」 という属性ベースの信頼を廃止し、すべての記事(パケット)を「汚染されている可能性がある」前提で記事や情報を捉えます。
その前提において、個別に一次情報(ログ・ソース)と突き合わせて検証(Verify)するプロセス≒システムセキュリティにおける「ゼロトラスト・アーキテクチャ(Zero Trust Architecture)」と捉えたアプローチをこのように表現しています。
ミドルウェアのバイパス(一次情報への回帰):
マスメディアという「解釈のフィルター」を通した情報は、基本的に汚染されている(または文脈が欠落している)と仮定する。可能な限り、政府の公式発表、一次資料、議事録、海外の報道(クロスチェック)へ直接アクセスする。
「熱」の検知と冷却:
記事を読んだ瞬間に「怒り」や「不安」を感じたら、それは「意図的に文脈を改竄している」シグナルだと認識する。その感情は、あなたの内側から出たものではなく、アルゴリズムと認知戦によって外部から注入されたものかもしれないとメタ認知する。
デバッグツールの活用:
CursorやAIを活用し、記事の論理構造を解析する。「他の媒体でどのようの報道され、この報道との違いは何か?」「なぜこの文脈が消されたのか?」「この報道によって誰が利益を得るのか(Qui bono)?」を逆算する。
マスメディアが構造的に「認知戦の脆弱性」を抱えている以上、私たちは彼らを「信頼できるインフラ」としてではなく、「取り扱いに注意を要するサードパーティ製のプラグインやパーツ」として扱うべきです。
アテンションエコノミーの経済合理性と、地政学的な悪意が「共振」する現代。自分の認知を守るファイアウォール(防壁)を構築できるのは、最終的には自分自身しかいないのです。
「正義」という名のマルウェア:魔女狩りシステムへの悪用
メディアが「熱」を精製し、そこに「敵対的ナラティブ」が介在する時、いったい何が起きるのでしょうか。それは単なる世論形成にとどまらず、特定の対象を社会的に抹殺する「魔女狩り」へと発展します。
システムセキュリティの視点において、この魔女狩り現象は、「大衆の正義感を悪用したDDoS攻撃(分散型サービス拒否攻撃)」そのものです。
認知戦を仕掛ける側(攻撃者)にとって、日本の「不寛容な空気」や「謝罪を求める文化」は、極めて利用価値の高い脆弱性(エクスプロイト)として既に認知されています。攻撃者は、自らの手を汚す必要はなく、ターゲットとなる政治家や言論人に対して、メディアを通じて「差別主義者」「平和の敵」というタグ付け(マーキング)を行うだけでいいのです。
一度マーキングが行われると、アテンションエコノミーの論理で駆動するインフルエンサーや、正義感に駆られた一般ユーザーが、攻撃者の代わりに一斉に石を投げ始めます。彼らは自覚なきままに「人間ボットネット」のノードとして機能し、ターゲットが社会的に機能不全に陥るまで、もしくは見えなくなるまで攻撃を継続します。
このプロセスにおいて、攻撃者が投下するコストは極小です。小さな「火種(歪曲された報道)」を投下するだけで、あとは日本国内の「魔女狩りシステム」が勝手に爆発的なエネルギーを生み出し、ターゲットを無力化してくれます。
これこそが、認知戦の最も恐ろしい形態です。言論空間が「魔女狩り」への恐怖で支配されると、誰もが「ターゲットにされること」を恐れ、合理的な反論や、国益を守るための議論そのものを自粛するようになり(チリング・エフェクト)、この手法は社会主義・共産主義圏でよく利用されます。
結果として、情報空間は「声の大きな感情的攻撃者」と「沈黙する多数派」に二分され、現在日本における主要メディアを見るとわかるように、民主主義的な意思決定プロセスは完全に機能不全に陥ります。私たちが「正義」だと信じて振り下ろした拳が、実は外部勢力のコントローラーによって操作されていたとしたら――これほど致命的なセキュリティホールはありません。
レトリックに囚われず、「言葉」ではなく「視座」を変える
最後に、私たちが直面している残酷な現実を直視する必要性について。
これまでの言論空間において主流であった「文学」や「社会学」のアプローチ、つまり、「言葉の意味を問い、文脈を読み解き、感情に訴える手法」は、高度に計算された現代の認知戦(Cognitive Warfare)の前では、もはや無力であるばかりか、攻撃者が侵入するための裏口(バックドア)として機能してしまっています。
認知戦において、文学や社会学の観点で何かを語ること自体が根源的に脆弱であり、解決を図ろうとするならば、敵対するもののナラティブの中でレトリックを扱うのではなく、別の視座からその手段を考える必要があります。
私たちは言葉の「意味」を考えるレイヤーから認知の「構造」を考えるレイヤーへと、戦場を移さなければなりません。いつまでも古い思考、OSの上で、敵が用意した言葉遊び(レトリック)に興じている時間はなく、その必要もないのです。
そしてそれを拒むこと、つまりは「言葉」の表現でどうにかしようとすること自体が敵対するもののナラティブを肯定することになり、今、それに気づく必要があるのです。
今ここにある危機を認識し、それを回避する手段の一つは、私たち一人ひとりが新たな「視座」を持つことなのです。
参考文献
- 「セルフプロモーション時代の陥穽 アテンションエコノミーと情報戦」notheme.me、2025年7月26日
- 三宅香帆「『ひとり電通』化する私たちー選挙そしてアテンションエコノミーとどう向き合うか」note、2025年7月25日
- 山本一郎「【告知】7月29日、JILISコロキウムでファクトチェックの最前線『偽情報・印象操作対策と公職選挙』を開催します」note、2025年7月26日
参考になる既存の理論
Cognitive Warfare Theory(認知戦理論)
NATO戦略文書で既に確立された概念
RAND研究所などの戦略研究機関での標準的分析枠組み
「Information Operations」「Influence Campaigns」の発展形
Attention Economy批判
Tim Wu、Shoshana Zuboffらの「監視資本主義」論
「Platform Capitalism」批判の日本的応用
デジタル・フォーディズム論の情報戦への展開
Computational Propaganda研究
オックスフォード大学インターネット研究所の既存研究
ソーシャルメディア操作の学術的分析手法
「Manufactured Amplification」概念の応用
