なぜ「Reflect:COG2*」を書き始めたのか?

生成AIという「道具(ツール)」を介して、一次情報である「事実(ファクト)」へ自らアクセス可能となった今、マスメディアが独自の解釈とナラティブで変質させた内容を「報道」として流通させている実態を私は目の当たりにし、同時にその構造的欠陥はSNS上などでも度々指摘されるようになってきました。

「Reflect:COG2*」は、その「違和感」を起点として、淡々とした事実の集積に潜む「構造的メタファー」を言語化する試みです。既存の物差しでは解釈不能な現代社会の深層を、新たな論理で可視化し、その情勢の本質を論考することを目的としています。

目次

ナラティブと実利の乖離

マスメディアは、複雑な世界を解釈するために「善と悪」や「イデオロギー」といったわかりやすい 「物語(ナラティブ)」をあてはめようとします。しかし、現代社会の動静や国際情勢の基層にあるのは、そうした文学的な物語ではなく、冷徹な 「実利(ユーティリティ)」の力学です。

メディアはこの「ナラティブと実態のズレ」を直視しません(ニュアンスとしては見えていない)。それどころか、自らが理解しやすいよう、描いた脚本に整合するように事実を切り取り、あるいはこじつけることで、「模造された真実」をあたかも唯一の事実であるかのように流通させるシステムを作り上げています。それは外から見れば、報道というよりも、自らの世界観を維持するための終わりのない「編集作業」に他なりません。

トランプ再選が突きつけた「存在しない幻影」

この構造的な歪みが如実に露呈したのが、トランプ氏の再選という現実です。日本のメディアが好んで報じた「分断を煽る王様」というナラティブは、現地アメリカの実態とはかけ離れていました。

アメリカの有権者が選択したのは、物語の中の悪役ではなく、生活と安全を保障する「実利主義に基づく選択」でした。つまり、日本国内で語られていたトランプ像とは、事実を捨象してメディアが作り上げた「幻影」、もしかすると、戦後憧れであった「アメリカ」というナラティブの延長にあるトランプ像であり、私たちはその存在しない幻影を通して、歪んだ世界を見させられていたのです。

「情報の余白」に介在する脆弱性

メディアの手法は、二面性のある事実の「片側」だけを採用し、自分たちのナラティブに沿わない不都合な事実(ノイズ)を消去することです。これは、自らが信じたい情報だけで構成される「エコーチェンバー」を強化し、アテンション・エコノミー(関心経済)の中で効率よく収益を上げるための生存戦略でもあります。

しかし、このプロセスによって切り捨てられた文脈には、巨大な 「情報の余白」、その造られたナラティブを補完し、そして意図した方向性をも曲げることができる状態が生まれます。

最も深刻なのは、この「余白」が、敵対的な勢力による認知戦・情報戦にとっての 「付け入る隙」として機能してしまう点です。メディアが片側の情報で大衆の感情を扇動すればするほど、その裏にある「語られなかった論理」の空洞を利用した、他国からの介入や工作が容易になり、実際に利用されはじめています。

メディアは認知戦の「触媒」である

結果として、日本のマスメディアは時にアテンション・エコノミーという収益構造に最適化した結果、安全保障上のバグ(脆弱性)になってしまったシステムとして、他勢力によるコンテクストの改変や介入を招き入れる 「認知戦の触媒」の役割を担う状態にあります。自らが作り出した偏りが、皮肉にも国の情報空間を脅かす温床となっているのです。

アテンションを稼ぐために精製された「物語」ではなく、実利と機能に基づいた「事実」を記録すること。それによって、メディアが作り出した認知の歪みを修正し、この国の情報空間に空いた巨大な「余白」を埋めるための視座を提供すること。それを不定期ではありますが、時間が許す限り続けていく所存です。

最後に、私はこのブログで使う「実利」という言葉を、グローバルスタンダード、グローバルサウスの台頭と多数の価値観・宗教が違う相手、もっといえば文明が違うような相手とやり取りをする中で出てくる、必要以上に干渉しないための最適解の一つと位置付けています。

関連記事の一覧