Reflect:COG2MEDIA 20260116

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選挙議席の「椅子取りゲーム」と、迫りくる「見えない侵略者」

2026年1月、衆議院解散総選挙の可能性が出た状態で、永田町と大手メディアは、政党や議員の話題で持ちきりの状態で、野党勢力の一部による新党結成の合意や、それに対する他勢力の冷ややかな拒絶反応、そして与党側で未だにくすぶり続ける「政治とカネ」の問題を巡る法的処理のニュースを目にする毎日です。

メディアはこれらの一連の動きを、さも日本を変える大ニュースかのように報じています。しかし、与野党ともにやっていることは「過去の清算」できるのか、しないのかといった、いわば「内向きの権力闘争」であり、結果として政治リソースの全てを、選挙後を見据えつつ、その選挙準備に当ててしまう状態です。

現在までに近隣諸国(台湾・韓国)で既に実行された事象を重ね合わせると、この光景はある意味当然と言えるのですが、その近隣諸国で起こった事実を見据えると、危険な状態かもしれません。彼らが派閥の論理で椅子の奪い合いをしている間に、その外側では、「日本の有権者の意思決定プロセスそのもの」を標的とした、他国の軍事・情報機関による認知戦(Cognitive Warfare)の包囲網が構築されつつあるからです。

これまでの記事で書いている通り、日本のマスメディアは「トランプ=分断の王」や「政局の混乱」といった情緒的なナラティブを消費させることで、複雑な国際情勢の因果関係を思考から置き去りにしてきました。しかし、その置き去りにされた中にある「情報の余白」こそが、敵対勢力、アクターにとって、最も低コストで侵入可能なセキュリティホールとなっています。

敵対勢力、アクターにとっては「どの派閥」が勝とうが、連立の枠組みがどう変わろうがその情勢自体にはほとんど関心がありません。彼らの目的は、どちらが勝っても日本という国家の意思決定が機能不全に陥るよう、日本国内の世論の認識(パラメータ)を調整することにあると推測されます。

「疑米論」の日本版ローカライズ:同盟というサブスクリプションへの疑義

台湾総統選において猛威を振るったのが「疑米論(Yi-Mei Lun)」――すなわち「アメリカは最終的に台湾を見捨てる」「アメリカの戦争に巻き込まれるのは御免だ」という言説の流布でした。2026年の日本において、これと同じ論理構造が、より日本向けにローカライズされた形で展開される可能性が高いと言えます。

トランプ政権が進める「雄大なアメリカ(Grand America)」とも呼べるディールをベースとした政策、すなわち自国利益の極大化戦略は、日本のメディアフィルターを通すと「孤立主義」や「身勝手」と映りがちです。認知戦のアクターはこの解釈のズレを突き、以下のような問いを日本の有権者に投げかけることが予想されます。

「アメリカが自国の利益しか考えないのなら、なぜ日本は高いコストを払ってまで、彼らの覇権維持(米軍基地・兵器購入)に付き合う必要があるのか?」

これは、日米同盟を「安全保障の基盤」という神聖な物語から引きずり下ろし、「コストに見合わない高額なサブスクリプションサービス」として再定義させる試みとも読み取れます。

特に、「アメリカの戦争に巻き込まれる」という恐怖は、平和主義というナラティブに浸ってきた日本人の深層心理に最も刺さりやすい要素です。ボットやAIによって増幅されたこの「疑念」は、リベラル層には「反戦」として、保守層には「自立」として作用し、左右双方から日米の離間を促進する触媒として機能するリスクがあります。

「アイデンティティ」の武器化:琉球・アイヌ先住民族論という分断工作

さらに昨今、看過できない動きとして表面化しているのが、「アイデンティティ」をターゲットにした分断工作です。具体的には、日本国内ではない、別国の国内向けの報道や国際機関の場において、「琉球(沖縄)とアイヌは日本から搾取されている先住民族であり、その権利を守るべきだ」というプロパガンダが活発化している現象です。

一見すると人権擁護の文脈に見えますが、認知戦の視点で分析すると、ここには「日本の主権の正統性を揺るがす」という明確な戦略的意図が見え隠れします。

  • 沖縄(南の起点: 「琉球地位未定論」などを持ち出し、沖縄における基地問題や自治権の議論を、日本政府対県民という構図から、「日本という抑圧者 vs 被支配民族」という国際的な人権問題のフレームへと書き換える試みです。
  • 北海道(北の起点): アイヌ民族の権利保護を過度に強調することで、日本社会の中に新たな「加害者と被害者」の線引きを行い、心理的な分断を生じさせようとする動きです。

しかし、ここで私たちは事実(ファクト)に立ち返る必要があります。日本政府の立場は一貫しており、アイヌの人々については法的に独自の文化を有する先住民族として尊重しつつも、あくまで「日本国民としての権利と義務を有する主権者」であることに変わりはありません。また、沖縄の人々については、歴史的・法的にも「先住民族」として分離して扱う対象ではなく、等しく主権を持つ日本国民です。

認知戦の罠は、この「主権を持った普通の国民」という当たり前の現実を捨象し、外部から勝手に「抑圧された少数者」というタグ付けを行う点にあります。さらには、これらを日本人が介在しない場で行うことで、自らが作り上げた史実に基づかないナラティブを広めることが可能になります。彼らの狙いは、人権を守ることではなく、日本国民の中に「日本人ではない(かもしれない)自分」という疑念を日本の内側からではなく、日本の外側から植え付け、主権者(日本人)としての連帯を内側から解体することにあるのです。

外部勢力が定義する「保護されるべき先住民族」という非現実の言葉を受け入れた瞬間、私たちは「自国の運命を自ら決定する主権者」としての地位を自ら放棄することになりかねません。

「生活苦」という兵器:イデオロギーを無効化する実利の力学

また、攻撃のベクトルが「思想」だけでなく「生活(実利)」に向けられる点も警戒が必要です。

過去の論考で述べたように、グローバルサウスや米国の有権者が選んだのは「理念」ではなく「明日の食事と安全」でした。認知戦を仕掛ける側は、この「実利の重み」を熟知しています。

選挙期間中、エネルギー価格の高騰や物価高といった具体的な痛み、もしくは自分以外の特定の層に向けた補助・助成金などの制度を、執拗に「対米追従のコスト」や「対外制裁の副作用」として結びつけるナラティブが展開されることが予想されます。「彼らと和解し仲良くすれば、電気代は下がり、輸出は増える」といった提案は、日々の生活に疲弊した層にとって、憲法改正や安全保障論議よりも遥かに切実な「救い」として響く可能性があります。

彼らの目的は、特定の親和的な政治家を勝たせることだけではありません。「誰がなっても生活は良くならない」「政治は嘘ばかりだ」という政治的冷笑(シニシズム)を蔓延させ、民主主義のOS自体をクラッシュさせることにあるのかもしれません。投票率の低下と社会的分断こそが、彼らにとっての勝利条件となり得るからです。

プランBの罠:選挙なき「正統性の空白」に注がれる毒

では、もし政権が選挙を行わないメリットが明瞭にある、あるいは外交日程や政局の混乱を理由に「解散総選挙を行わない(先送りする)」という選択をした場合、私たちは今まで論説した認知戦の影響から逃れられるのでしょうか?

一見、認知戦など行う余地などなくなったように見えてしまうのですが、むしろ攻撃の質が、短期決戦型の「選挙介入」から、真綿で首を絞めるような長期的な「正統性(レジティマシー)の剥奪戦」へと変質する恐れがあります。

選挙が行われない場合、そこには政権批判の常套句である、「国民の信を問わなかった」という巨大な「情報の余白」が生まれます。攻撃者はこの空白に、「保身のために逃げた」「不都合な真実を隠蔽するための居座りだ」というナラティブをその左派に混じって書き込む、もしくは拡散できる隙が生じます。

結果として、政権が国防やエネルギーに関する重要な決定を下そうとするたびに、「選挙を経ていない(民意なき)首相の暴走」というレッテルが貼られ、SNS上では批判が増幅されやすくなります。これは、政権を倒さずに「何も決められない状態」にしておくという、敵対勢力にとってコストパフォーマンスの良い「飼い殺し」の状態を作り出すことにつながりかねません。

選挙があろうとなかろうと、私たちの認識領域は常に彼らの「盤面」であり、逃げ場など存在しないと認識すべきなのです。

私たちは「ファクト」ではなく「文脈」で殺される

生成AIによるディープフェイクや、SNS上の偽情報の氾濫に、もはや技術的な目新しさはなく、見慣れた光景に映ってしまうかもしれません。しかし真の脅威は、それらが「メディアが報じない不都合な真実(のように見えるもの)」として提示されたとき、既存メディアへの不信感と結合して説得力を持ってしまうことなのです。

メディアが「きれいな物語」自分たちの築き上げたナラティブを守ろうとして生み出した情報の空白地帯に、アクターは「事実か疑わしいが最もらしい納得感のある偽の文脈」を流し込みます。私たちは今、事実の真偽(ファクトチェック)を争うフェーズを超え、事実をつなぎ合わせる「文脈(コンテクスト)の支配権」を巡る攻防の只中にいると言えます。

2026年1月第2週には、まだあるかどうか定かではない選挙において、私たちが問うべきは、野党再編の組み合わせや、誰が不祥事に関わったかという些末なスキャンダルではありません。

「その政策は、私たちの国家のB/S(貸借対照表)をどう改善するのか?」

「その怒りの感情は、誰の利益(Profit)のために喚起されているのか?」

この冷徹な「経営者的視点」を持てるかどうかが、日本というシステムがバグを起こさずに存続できるかの分水嶺となるでしょう。

Summary

  • 国内政治の矮小化: 野党再編や不祥事処理といった永田町の政局は、認知戦の脅威の前では「コップの中の争い」に過ぎないという視点が必要。
  • 疑米論の浸透: トランプ政権の「実利主義」を逆手に取り、日米同盟を「不採算なコスト」と認識させる工作が懸念される。
  • アイデンティティ攻撃: 外部からの「先住民族」というレッテル貼りは、主権者としての国民を分断する罠であり、これを見抜く必要がある。
  • 対策: 感情的なナラティブを排し、国家運営を損得(トランザクション)で見極める「冷徹な視座」の獲得が急務である。

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